青春に愛はあるかのかどうか。
「世界の中心で、愛をさけぶ」は普及の恋愛名作と言える。
小説で売れ、映画でも売れた。
多くの人の心に刺さった作品だ。
大人になった主人公は高校生の思い出にタイムトリップする。
当時、高校生の淡い恋愛。
高校生の恋愛は、ほぼ恋なんだと思う。
あらゆる事柄に多感になり、異性に興味が出てくる。
それは自分の好奇心が相手に向かい、相手の心までには及ばないから。
恋と愛とは何が違うのか、よく議論される。
恋は下心、愛は中心に心がある。
「世界の中心で、愛をさけぶ」は、下心から本物の愛に昇華する過程の物語
突然、恋人が不治の病に侵されたらどうしますか?
もがき苦しみ、どうして恋してしまったのか後悔する。
後悔して、そんなことを考えている自分を恥じて反省して、
次に相手が何をしたいのか考え始める。
相手がどうしたいのか相手本位に考え始める。
そして、初めて愛というものを知る。
ある人が言っていた、愛とはそこに初めからは無く、
愛は育むものだと。
恋は消化し、愛は昇華する。
主人公の朔太郎は、ずっと戸惑っている。
戸惑っているというよりオドオドしている。
無関心を装いながら、最大の関心を彼女に注いでいる。
近づきたくても近づけない恥ずかしさが勝ってしまう。
それは青春だからなのだろう、心がまだ成長過程だからなのだろう。
彼女はオーストラリアに行きたいと言った。
不治の病で床に伏した状態で、彼女の中心はオーストラリアにあった。
朔太郎はオーストラリアに彼女を連れて行こうと決心する。
だがそれは、朔太郎の独りよがりの行動でしかない。
親は、子どもの体を心配し、オーストラリア行きを断念させる。
その壁を乗り越えられるのか朔太郎。
朔太郎がんばれ、負けるな朔太郎。
彼女をオーストラリアへ連れていけ
とみんな思ったはずだ。
だが、それは叶わなかった。
大人になった朔太郎はオーストラリアの中心で愛をさけぶ
ずっと朔太郎は叫んできたのかもしれない。
日本の田舎でも、大人になっても、どこでもいいから叫んでいたに違いない。
ただ、叫ぶというのは、広い空に飛んで消えていってしまう。
それでも叫び続ける、天国に行った恋人だったアキに届くように。